今回は陸前高田市の医療状況について報告したいと思います。
これから協力に行きたいという方もおられると思いますので、ご参考にしてして頂ければ幸いです。
被災後の陸前高田市における医療は、大きく分けて二つの柱から成り立っています。
一つは
日赤病院を基点にしたもの。これは被災直後から高田第一中学校の敷地内で行われています。
もう一つは、
現地で被災してしまった県立高田病院のスタッフが中心となって行っているもの。

これは、陸前高田市全域で避難所と臨時診療所がある地区を米崎地区・小友地区・広田地区・長部地区・竹駒地区などといった具合に分けて、それらを統括する形で行っているものです。
県立高田病院は壊滅的な被害を被り、病院機能を米崎のコミュニティーセンター(コミセン)に何とか移設をしたようです。震災直後から少しずつ器材や薬剤を調達し、徐々に病院としての機能を取り戻してきたようです。震災当初は電気も来ておらず、衛星電話だけが頼りだったそうです。そのスタッフの頑張りには本当に頭が下がります。

被災した県立陸前高田病院全景

病院入口付近

4階まで被災した高田病院
県立高田病院は4階建ての建物の4階まで津波が押し寄せ、スタッフの中でもお亡くなりになった方もおられるようでした。スタッフの多くは屋上に避難して無事だったようです。しかし、病院前の官舎も被災したため、御家族が被害に遭われた方は多くおられるようでした。
我々が参加したのは、県立高田病院のスタッフが中心となってやっている部隊のほうで、その中で
気仙町長部地区を北海道大学のチームと共に担当したということになります。
毎日、朝8時40分と夕方16時から参加チーム全体でスタッフミーティングを米崎のコミセンで行います。

米崎コミセンの外観
そこでは、インフルエンザ、感染性胃腸炎、疥癬など、集団感染を起こしていないかどうかの報告や、その日一日の被災者の受診状況が報告されます。私が行っている間にはそういった感染症の発生は殆どありませんでした。
ただ、日赤病院が行っている医療支援の情報があまり入ってこなかったのは残念でした。
ミーティングを主催しているのは、県立高田病院院長の石木先生です。石木先生は御家族が被災されているにもかかわらず、気丈に陸前高田に来ている様々な医療スタッフのまとめ役として活躍されています。

気丈な高田病院石木院長
私が派遣期間中に来ていた支援チームは本当に様々でした。
秋田、福岡、神戸、東京、北海道、長野、岐阜などが自治体主導で支援チームが送りこまれていました。
どこも、医師・看護師・医療事務のスタッフを揃えて7-8人体制のところが多かったように思います。
現地では医師の専門性などを考慮して、循環器内科や皮膚科など専門的な診療が必要な場合には適宜往診を行うような体制をとってお互いに協力し合う雰囲気がありました。
派遣されている医師の殆どが大学病院や公立病院の方で、一部大規模私立病院の方もおられました。
他の地域はわかりませんが、浜松市のように医師会や薬剤師会が率先して派遣しているチームは他にありませんでした。
開業医といえど、勤務医時代には専門的な医療をしていますし、勤務医の先生よりも往診すること自体は慣れているので、現地でのニーズは非常に高いと思います。
問題は自分の病院を休診にして行かなくてはいけない点ですが、当院の場合には1か月処方されて受診が予想されるような方に予め連絡をして1週間前倒しで来てもらいました。出張期間中に来院された方には、周辺の開業医の先生にお願いして薬を処方してもらったりすることで何とか乗り切ることができました。
休診にすることで、クリニックとして損失はあると思いますが、現地で家族や家が被災しても頑張っている人たちの姿をみると、そんな思いは吹き飛びます。震災後1カ月以上経過し、現地の開業医の先生でもプレハブを建てて診療を再開するところも出てきています。何とか現地の医療がある程度回復するまで、みんなで繋いでいく意識が必要だと思います。
幸田クリニック