陸前高田市での医療支援報告 その1

陸前高田市での医療支援報告 その14月21日(木)~27日(水)まで、岩手県陸前高田市に浜松市の医療支援チームの一員として参加してきました。その間、来院患者の皆さまには大変なご迷惑をお掛けいたしました。

クリニックでは残ったスタッフにより、派遣中に来院された患者さまを周辺の診療所に誘導しておりました。周辺の診療所の先生方も、要請を快く受け入れて頂いたことに感謝いたします。

あまり、ニュースにはなっていませんが、浜松市は陸前高田市に対して東日本大震災後、早期より支援を行っています。震災後間もなく浜松市の保健師職員を中心としたチームを現地に送り、同チームが担当している気仙地区に同行する形で、浜松医師会・薬剤師会の合同医療チームが帯同することとなりました。

陸前高田市での医療支援報告 その1
陸前高田市議会議員の菅野のぼるさん宅の離れの2階を貸していただいて、現地での昼食やミーティングを行いました。
本当に菅野さんの御家族の皆さまにはお世話になりました。
第10陣は医師が私一名、看護師一名(当院から派遣)、薬剤師一名、保健師四名、浜松市役所職員四名の計十一名の編成でした。

震災後の気仙地区での医療支援は、北海道から北海道大学の医療チームが長部小学校横の漁村センター内の仮設診療所で行われており、北海道医療チームの元で往診訪問医療を浜松チームが担うこととなりました。
陸前高田市での医療支援報告 その1長部の漁村センター外観
陸前高田市での医療支援報告 その1避難所内仮設診療所

往診対象は、寝たきりで避難所に避難できない人、津波で家が流されなかったものの被災者ではないという思いから避難所に行くことを躊躇している人、足腰の痛みで山間の坂道を通院することが困難で車などの通院手段持たない人などです。こういった医療ニーズが掘り起こされることは、保健師チームがローラー作戦で積極的で被災していない家々や避難所を回っているからで、保健師チームと合同で行う被災地医療の一つの形と思います。この方式で医療支援を行っているチームは他の地区を見ても浜松だけではなかったかと思います。

避難所は、本来、避難先になるはずの気仙小学校などが想定外の津波で全壊状態のため、山間の小さな公会堂やコンビニの跡地などに10-30人程度ずつ分かれている状態でした。よくテレビに出てくる高田第一中学校のように一か所に大勢のひとが集まっているわけではないので、一人往診で診察してはまた次の場所へと移動が大変で、決して効率のよい仕事とはいえませんでした。しかも地区内にあるさんま工場が被災し、流されたさんまが腐敗した異臭が立ち込める地域で、外にいるだけで結構辛いときもありました。
陸前高田市での医療支援報告 その1被災したさんま工場

それでも地道な作業によって、往診先では「元々無医村で大変だったのに、震災でこんなに気軽に先生が来てくれるとは皮肉だなあ」と言われるほど、ボランティアチームにより現地の医療状況は改善しています。

しかし、今後は現地の医療ニーズは変化していくことが予想されます。
被災直後の怪我人などが多い外科救急医療が必要な段階から、現在は被災前に服用していた薬がなくなったり、被災ショックで心のケアが必要だったり、寝たきりの人には床ずれも出来始めています。徐々に被災直後の特殊医療から一般的医療への移行期にあると思います。

現地では水道水の復旧の目途は立たず、入浴などは3日に一度といった状況が続いており、瓦礫の撤去もこれから進んで粉塵などが増えることが予想されます。衛生状態があまり改善しないことを考えると、今後は皮膚科、婦人科、耳鼻咽喉科などのニーズが増えていくのかもしれません。小児喘息なども増えてくるかもしれません。そういった専門性のある診療がこれから必要となるでしょう。

5月10日以降は、浜松市医療チームが行っていた気仙地区の訪問診療が、岩手県立高田病院に引き継がれることが決まりました。そうやって、現在ボランティアチームが行っている医療を少しずつ地元の病院に引き継ぐことが出来てこそ、ボランティア医療を行っている意味が出てくると思います。
陸前高田市での医療支援報告 その1被災した県立高田病院

次回報告で触れるつもりですが、岩手県立高田病院の医療スタッフの方々は、被災したにも関わらず気丈に頑張っています。
少しでも早い復興を願うばかりです。

幸田クリニック 
     



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